お爺という人

2019年9月の最初の三連休の最終日。スマホの通知が続けて鳴った。

スマホを見ると連絡を待ちわびている人からのDMだった。でもそれは彼の訃報だった。

 

彼こと、お爺のことを書こうと思う。

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私とお爺はリネージュ2レボリューションというゲームで知り合った。お互いグレシアという鯖からゲームをはじめたが当初私とお爺は全く接点がなかった。

最初に話したのはグレシア鯖とゴダード鯖が統合されてルナ鯖になった頃だったと思う。2018年4月。当時私はGarnetという血盟の血盟主をやっていてお爺はvuvucaという名前でStarry Skyという血盟にいた。

当時のGarnetは盾職が少なく、パラディンの血盟員を切望していた。そんなときお爺ことパラディンのvuvucaさんがStarry Skyをやめるという噂を耳にした。私はすぐにお爺を勧誘した。けれどもそのときはお爺からあまりいい答えは貰えず、Starry Sky血盟を辞めたら考えると言われたのを覚えている。

そしてそれから少ししてお爺がTwitterでStarry Sky血盟を脱退したというツイートをした。私はちょうど仕事の合間にTwitterを開いた際、そのツイートを見た。私はすぐにゲームを立ち上げお爺にゲーム内のDMであるささやきを送り、お爺はGarnetに入団することになった。お爺は脱退して最初に勧誘されたのがGarnetだったから入団したと私に言った。あのとき偶然Twitterを見たから今があるし、これが私とお爺の縁だったのかなと思う。

 

Garnet血盟にはいくつかの決まりがあって、その中のひとつに、入団希望者がいたときは在籍している血盟員に「この人が今後入団しますが問題ないですか?」ということを聞くという決まりがあった。これは私が血盟主として1番大事にしたいのは在籍している血盟員というモットーの上、在籍している血盟員と過去にいざこざがあった人は入団をお断りしていたからである。お爺のときも例にもれず当時Garnetにいた血盟員のみんなにお爺の入団について聞いたところ、みんなとてもいい意味で驚いていてGarnetに来る前から私にとってお爺は「いい人」という印象だった。

 

実際お爺がGarnetに入ってから分かったことはお爺は「いい人」であったがそれ以上に「気を遣う人」だった。当時血盟主として血盟員のことは常に気にしていて、でも私だけではフォローできない部分がたくさんあった。そういうときにお爺はとても自然にフォローをしてくれていた。モチベが下がっている血盟員やあまり自分から話すことが出来ない血盟員にお爺はよく話かけていた。たぶんGarnetにいた人はお爺からDMやささやきで声かけられたことある人が多いのではないかと思う。周りの人の少しの変化に気付き、声をかけて、元気をくれる人だった。

 

それは血盟員だけではなく血盟主である私に対してもだった。お爺はいつも「ゆいにゃん大丈夫かー?」と連絡をくれていた。私はいつも血盟主としてどうあるべきかを考えていて、血盟員に対して弱音を見せたくなかったし、なにかあっても大丈夫!大丈夫!なんとかなるしなんとかするよ!という血盟主でありたかった。もちろんGarnetにいたみんなはそれが私の強がりであったことはわかっていたと思うけれども。ただそういう強がりをしたときに必ず連絡をくれていたのはお爺だった。有難かった。

 

今思うとお爺がGarnetに入ってすぐに私はお爺に支えられていた部分があったんだと思う。そう思う理由は鯖統合、鯖移動が終わってそろそろ血盟運営を担う幹部を決めなきゃねってなったときだった。Garnet設立当初から一緒にやっていたリュウさんとブルさんと3人で人選について話していたときに私はお爺を幹部にしたいと言った。お爺より前に入っていた人はたくさんいたし、お爺よりもチャットで発言が多かった人もいたし、お爺より強い人もいたけれども、私はお爺を幹部にしたいと思った。なぜなら一緒に血盟運営をしていく仲間は私が弱音を吐ける人がいいと思ったからだった。そう、お爺が入団してすぐだったのに関わらず私はお爺にとても心を開いていたのだ。リュウさんもブルさんも私の意見に納得してくれてお爺はGarnetの幹部となった。今でもこの人選は間違っていなかったと思っている。私は血盟主をやっている間幹部のみんなにずっと支えられてきたのは間違いないし、幹部のみんながいたからGarnetがとても楽しい血盟になったと思っている。

 

お爺に支えられていたのは精神面の部分だけではなかった。ゲームをプレイする中でもお爺はGarnetにはいなくてはならない存在だった。Garnetは私が血盟主になってから要塞戦等のGVGコンテンツにおいて私が指揮を行っていた。しかしながら私は指揮が下手だった。「みんなで右いくよー!守ってー!死んだー!」とこんな感じ。今でも当時の血盟員はよくこんな指揮についてきてくれたなと笑ってしまうくらいである。

そんな中、鯖統合で入団したjupi7ことじゅぴがGarnetの要塞戦の指揮を担ってくれることになった。やっとGarnetに指揮が出来る人が来てくれて私は嬉しかった。ただじゅぴひとりだけでは攻撃と防衛を両方見ることは出来ず、だれかもう1人防衛の指揮をやってもらおうという話になり、お爺がいいんじゃないかということになった。お爺に防衛の指揮をやってほしいとお願いするとお爺は快諾してくれて、そこからGarnetの防衛にはいつもお爺がいた。

防衛にお爺がいる安心感。指示出しが的確でダメなときは戻って、大丈夫なときは俺以外みんな上がってええよというお爺。ぶっちゃけそんな的確に指示出し出来るなら最初からやって欲しかったって思う。でもそれをお爺に言っていたとしてもきっとお爺はあのゆいにゃんの指揮がええんやでって返してきたと思う。勝つこと、強くなることよりもみんなが楽しむことを1番に考えてくれてたお爺だったから。

 

お爺が防御の指揮をするというのはGarnet血盟が解散したあと第三回LRTetoile血盟でベスト8まで行ったときまで続いていった。

 

そういえばetoile血盟に入ることを決めたのもお爺の一言も大きかったように思う。

Garnet血盟は2回目の鯖移動時に解散をした。その際、約半数がルナ鯖からフレヤ鯖に鯖移動し、CROWS血盟とetoile血盟にわかれて入団することになった。

このとき私はCROWS血盟、お爺はetoile血盟に所属となった。etoileの方に多くのGarnetの血盟員が所属することとなり、元血盟主としてみんなが新しいところでうまくやっていけるか心配していたがお爺がいるから大丈夫だろうという気持ちがなぜかあった。実際お爺から話を聞いていてもお爺はetoileでもGarnetにいたときと同じように「気を遣う人」だったと思う。それはetoile血盟の盟主であるリバさんが一番分かっていると思う。

 

それぞれ新しい血盟で過ごしている中でCROWSが解散することとなり、私もその時点でリネレボは引退してもいいかなと思っていた。そんなときお爺からこのあとどうするの?と連絡があった。Garnetに勧誘したときとは逆に今度はお爺からのetoileへの勧誘である。でもお爺は多くは語らなかった。お爺は最後までetoileで頑張る。何より元Garnetの血盟員で第2回LRTを仕事で出場出来なかったりゅおじを第3回LRTに連れていきたいとだけ言っていた。今思うとお爺そのときからもう自分が長くないことをわかっていたんだと思う。

ただ当時の私はというと、お爺がどんな気持ちでその言葉を言ったのかなんてわからなかったし、でも確かにお爺の言葉がどすんと私の心にきた。もちろんetoileの血盟主であるリバさんがどうするか決めかねてる私に何度も連絡してくれたことがetoileに入った理由の大半ではある。けれども心のどこかにお爺の言葉が残っていたのは否めない。りゅおじと一緒にLRTに出たい、Garnetのみんなと一緒にLRTに出たいという気持ちがあったから私はetoile血盟に入ることに決めた。

でもあのときetoileに入団してよかったと今は心から思う。etoileの人たちは優しいし思いやりにあふれているし、本当にいい血盟だと思う。etoileにいなかったらとっくに私はリネレボをやめていたと思うのであのとき声をかけてくれたお爺に感謝しかない。

 

少しお爺の話からそれてしまったのでお爺の話に戻そう。お爺を語るには外せない人がいる。それはお爺の奥様である。お爺はとにかく愛妻家でみんなでVCをしていてもいつも奥様の話をしていた。私と偶然VCで二人きりになったときは延々と奥様の惚気を聞かされたくらい奥様大好きなお爺だった。こんなに人に愛されるのはうらやましいと思うくらいに。でもお爺にそれだけ愛されている奥様もとても素敵な人だった。

「お爺の奥さんはGarnetの血盟員のひとりだと思ってる!」とあるときのVCでお爺に言ったらお爺は笑っていたけれども私は本当にそう思っていた。なぜならGarnetのみんなが頑張っているときお爺のとなりで奥様も私たちを見守っていてくれたから。私たちが嬉しいときは一緒に喜んでくれていたし、私たちが悔しいときは一緒に泣いてくれていた。でもそれはお爺から全部聞いた話で実際奥様とお話することはなかった。私が奥様と初めてやり取りしたのはお爺の訃報を奥様が伝えてくれたときだった。それがとても悲しかった。

 

お爺が体調を崩しているのはわかっていた。でも死んでしまうなんて思っていなかった。お爺は一切私たちに弱音を吐かなかったし、暗い話はしなかった。だからそんなお爺の言葉を私は信じていたんだ。手術が終わったあとしばらく連絡がなくてもひょっこり顔をだしてくれると思っていたし、今も死んだのは冗談だって言いながらVCにきてくれるんじゃないかって思ってしまう。それくらいお爺は最後まで私たちに何も言わなかった。

 

後悔していることが2つある。

 

ひとつはお爺はここ数か月よくGarnetのVCにいた。夕方ごろ一人でいるのも見かけた。帰宅中だったり忙しかったりで私はお爺がVCにいたのは知っていたけれども忙しいことを理由にVCに入らないことも多かった。今思えばお爺はみんなともっと話したかったのかもしれない。そして私もお爺ともっと話せばよかったと思う。もっと話したかった。

 

もうひとつは最後までお爺に心配をかけてしまったことだ。お爺が亡くなった頃、私はリアルでいろいろあり情緒不安定になっていた。そのとき少しだけ弱音をはいたらお爺はいつも通り私になにかあったと感じて連絡をくれた。お爺が手術前で大変なときだとわかっていたのに私は自分に余裕がなくてお爺に自分のつらい気持ちをぶつけてしまった。お爺のことだから心配しただろうと思う。そしてそのときのやり取りがお爺と最後のやり取りになってしまった。もっと楽しい話をすればよかったと悔みきれない。

 

お爺と最後にやり取りをしたのが7月15日。そしてその次の日の7月16日、お爺は私に手紙を残してくれていた。奥様が先日お爺が亡くなったと連絡をくださったときにその手紙の内容を教えてくれた。そしてそこにはこう書いてあった。

 

ワシは、ずっとずっと「ゆいにゃん」の味方やで。

ワシの想いを心に刻め!

強く優しく可愛く楽しい人生を過ごしてください。

たくさんの楽しい時間を一緒に過ごせて幸せでした。

 

泣いた。

人目をはばからず泣いた。

これでもかってくらい泣いた。

お爺はこの手紙の中で私に一生懸命頑張る孫を見守るお爺さんの気分だったと言ってくれていたけれども私もその通りだった。本当のお爺さんのように何があっても大丈夫だよと守ってくれるようなあたたかい人だった。それは性別も年齢も関係なく、お爺と関わってきた人はみんなそう感じるのではないかと思う。それだけお爺は人に優しく、人を敬い、人を大事にする人だった。

 

お爺のリアルのことは何もわからない。会ったこともない。年齢だって曖昧。言ってみればたかがゲームの繋がりだけなのかもしれない。でもそこには確かに縁があって、絆があって、とても大切な存在だったことは間違いない。そんな人と出会えたことに私は感謝したいし、お爺のことをいつまでも忘れたくないのでこのブログを書きとめた。

 

お爺、こちらこそどうもありがとう!

またいつかみんなでくだらない話で笑って、一緒にゲームしようね!